ARCHITECTURE DESIGN
環境デザインに関する考察
#1 スター・ウォーズはSFか?

IN
TRODUCTION


A long time ago in a galaxy far far away ....
遠い昔、遥か彼方の銀河系で ....

スター・ウォーズ シリーズの有名なオープニングキャプションである。
 「スター・ウォーズはSF映画か」。そんな議論をしばしば見かけることがある。この議論の論点は、スター・ウォーズは舞台こそ宇宙ではあるが果たして科学空想映画と言えるものだろうか、という一点に集約される。遠い昔の遥か彼方を設定とした寓話であるにもかかわらず、スター・ウォーズにはSF作品と捉えることが出来るほどに作り込まれた詳細な設定があるからこそ、この議論は成立するのだろう。

 地球以外の異文化を舞台にしたSF映画はたくさんある。各々の作品における異文化の描き方は多様にあるが、それらは大きくニ分することができる。
 一つはSFとしての描き方だ。ここでいうSFとは、科学的な空想を伴う理論的な設定の上で語られる物語を言う。そしてもう一つの描き方は、科学的な検証にあまり重きをおかずにそれらしい世界観を創り出す幻想文学(ファンタジー)的なアプローチである。
 前者のSF的なアプローチをとると、地球以外の星での物語は、当然地球とは違った独特の技術・文化・美意識をもって描かれることとなる。『デューン/砂の惑星』
[★1]などはその好例だろう。そこで描かれる世界は地球上の科学や技術とは無縁のもので構成されている。心臓に取り付けられたくさび型弁、フレームに固定された猫、奇妙な意匠が施された王宮の間、空飛ぶデブ、合理的とは思えない重厚な言語通訳機……。そこで描かれるギミック、設定のどれをとっても、現実の世界にはない不可思議なものばかりである。
 この手法は、絶対的な美観などにおいて観客の共感を得られにくいが、SF映画としての設定の徹底を貫くことが可能だ。しかし、空想で描く要素が多くなるほど、物語自体の持つ説得力は低くなる。ルールのないゲームがつまらないのと同じですべてが空想となってしまっては、物語の持つ真意が薄れてしまうのである。そこで現実世界との共通項を設けることが必要となってくる訳だ。『砂の惑星』の場合、砂漠で長期間生存するために主人公らが装着する水分循環機能を持ったサバイバルスーツなどが登場する。この「水分がなくては生きてゆけない」という命題(ルール)の上で物語を展開することによって、空想映画は説得力を獲得するのである。
 そして後者のファンタジー的なアプローチだが、これは古典的な物語の手法である。多くのおとぎ話は「昔々」や「あるところに」という架空の設定ではじまるファンタジーである。そして現代も多くの空想物語がファンタジーとして描かれている。

 では、スター・ウォーズはSFだろうか。ファンタジーだろうか。
[★1]

★1『デューン/砂の惑星』(1984年 デビッド・リンチ監督) フランク・ハーバード原作の大ベストセラー小説を異才リンチが映像化。独特の世界観を創出しましたが、興業的にはいまひとつ奮いませんでした。
★1 SFファンタジー映画マトリックス
あなたはスター・ウォーズをどこにプロットしますか?


★2 操舵のために翼上部エアブレーキを開閉させて飛来するスノースピーダー。メカ好きにはたまらないディティールです。
★6 フランスの冒険飛行家、サン・テグジュペリが1943年アメリカ亡命中に出版した童話。星の王子さまが様々な星の住民と出会う物語。1935年に挑戦したパリ・サイゴン間飛行の際、リビア砂漠に不時着し3日間砂漠をさまよったことから物語の執筆を思い立ったといわれています。2000年にサン=テグジュペリが書いた挿し絵をそのまま使用したオリジナル版が58年ぶりに再版されました。

 氷の平原を疾風のごとく舞うスノースピーダーが、方向転換する度に使用するエアブレーキ
[★2]。砂漠の星の住民が使用する水分凝結器[★3]。様々な宇宙人たちが使う聞きなれない言葉。スター・ウォーズにはそんなギミックが無数にちりばめられ、それら細部に宿った神々によって架空の世界が創造されている。ここでは、この架空の世界を「スター・ウォーズ・ユニバース」と便宜上呼ぶことにする。
 スター・ウォーズ・ユニバースは、我々の銀河では考えられない高度な技術を持った世界である。そしてその文化、技術については映画では語られない部分に至るまで、細かな設定が用意されている。例えばランドスピーダーやスピーダーバイクが宙に浮く原理などについても統一理論設定
[★4]が用意されているし、〈ミレニアム・ファルコン〉などのビークルは、断面図によってその構造がこと細かく設定されている。
 また、異文化圏の雰囲気を出すためか、物語中の服装文化にも独特のものがある。ひとつには、よく言われることだが襟付きの服が非常に少ない。かわりに服飾文化の主流としてマオカラーがある。また、ボタンがけという文化もないようだ。
[★5]
[★3] ルークの家にもあります水分凝結器。ルークの育ったラーズ家はこの機械を沢山使って、砂漠の星の貴重な資源=水分を作る水分農場を経営しているのでした。

[★4] スター・ウォーズ・ユニバースの設定では、“リパルサーリフト”と呼ばれる反重力推進装置によって、地面に接触せずに高速移動することが出来ることになっています。
 こういった異文化的なエッセンスを無数に織り交ぜた結果、スター・ウォーズは科学的な空想の上に立脚する理論世界の物語と言えるようにも思える。

しかし、それは間違いである。
スター・ウォーズはSFではない。

スター・ウォーズは紛れもないファンタジー作品である。舞台こそ宇宙であるが、そこで描かれる物語は「神話」や「昔話」と同じくひとつのテーマを持った寓話である。「スペースオペラ」とも称された一大絵巻である。それは、物語が描かれる舞台を見ても明らかだ。
 スター・ウォーズで物語の舞台として描かれた自然環境は、実に印象的なものばかりである。
 砂漠、密林、氷原、雲の都市、森林、そして大都市…。これら特徴のある自然環境は、1つの惑星に1つずつ描かれている。このプロットは、1つの星に1人の住民がいる『星の王子さま』
[★6]のようでもある。
 ジョージ・ルーカス(以下ルーカス)は様々なインタビューで「1つの作品内で少なくとも3箇所の性格の違った舞台を設けようと考えた。しかし、観客を困惑させる恐れがあったので、1つの星の舞台は1つにとどめた」と語っている。
 各々の舞台は、特徴のある環境であり且つ、観客にとってわかりやすいものとして描かれる必要があったのである。よって『星の王子さま』的な設定がなされたわけだ。

 この設定に対し「スター・ウォーズ・ユニバースでは、惑星は単一気候とされているのではないか」などというSF的考察を行うことに何の意味があるだろう。その行為は、広大なスター・ウォーズ・ユニバースに溺れてしまっているに等しい。

 改めて云うことでもないが、スター・ウォーズは主人公たちが様々な舞台を駆け巡る冒険活劇としての要素を強く持った物語である。「物語を観る」というよりは「物語を体験する」と表現することが出来る数少ない作品のひとつともいえよう。娯楽映画において、観客が主観的に映画を観てくれることは、製作者にとって大きな目標であり大命題である。スター・ウォーズ・シリーズは、この命題をクリアしている作品という意味で間違いなく映画史上に残る金字塔といえよう。ではスター・ウォーズがそれだけの魅力を獲得した要因は何なのだろうか。
 続くチャプターでは、SF的なアプローチではなく、人文的なアプローチをしかけたいと思う。
スター・ウォーズが描かれた環境およびそのプロットの意味などを我々の現実社会における地理的、歴史的考察を交えて掘り下げ、その物語が描かれた舞台、とりわけ都市環境および建築様式について論を展開しゆく。架空の物語の設定を、現実社会の事象をもとに考察を行うことは、ある場合においては全く意味をもたない行為である。しかし、文頭で触れたようにスター・ウォーズは現実社会の事象を引きずったファンタジーであるということ(つまりサイエンス・フィクションではない、ということ)と、主観性の強さがこの物語の魅力であるということを前提に話をするならば、観客の主観に訴求するあの大きな力の根元は、我々が生活を営む現実社会の様々な事象と、物語中のそれとがリンクしていることから生まれると言い切れるはずだ。つまり実在する建築様式や都市環境と劇中で描かれたシーンを比較することで物語の理解を深めることができる。


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