ARCHITECTURE DESIGN
環境デザインに関する考察
#3 タトゥイーンとチュニジア

IN
TRODUCTION
 前章で触れた舞台は、どれもモチーフとなった様式や被写体があり、その輪郭をトレースするように物語の中でオリジナルの様式が形成されたものたちであった。

 しかしスター・ウォーズには実在の建物がそのままロケに使用されたシーンがある。チュニジアでロケされた『新たなる希望』のタトゥイーンのシーンである。

 タトゥイーンは、『新たなる希望』『ジェダイの復讐』『ファントム・メナス』そして『エピソードII クローンの攻撃』と、何度となくその環境が描かれているスター・ウォーズの重要な舞台であることは周知のとおりである。

 『ジェダイの復讐』でのタトゥイーンのロケは、チュニジアではなくアメリカ国内で行われたが、『ファントム・メナス』『エピソードII クローンの攻撃』では再びチュニジアでのロケが慣行された。
 では、チュニジアロケで使用された現存する建物とは一体どんなものなのか。

DAY IN TUNISIA
■チュニジアへの固執
『新たなる希望』撮影当時、すべてをセットで製作するには予算がなかったゆえに、チュニジアロケが慣行された。チュニジア南東部にある中継都市マトマタ近辺を中心として、北アフリカの先住民族ベルベル族の住宅などがロケに使用されたのである。

 チュニジアは、スター・ウォーズにとって重要な国である。それは、ロケを行ったから、という理由だけではない。タトゥイーンという星の名前は、チュニジア南東部にあるキャラバン中継都市、タタウィン(Tataouine)からインスパイアされたものであるし、『ファントム・メナス』の主要な舞台であり、若き女王アミダラの治める惑星「ナブー」も、チュニジア地中海岸に位置するマリンリゾート地「ナブール」からとられたと思われる。スター・ウォーズがチュニジアに固執するのはなぜだろうか。

■ベルベル族の文化
「チュニジアで『スター・ウォーズ』のロケが行われた」という話は有名だが、具体的にどこで何が撮影されたのかということに関してはあまり語られる機会がなかった。
 欧州からみてチュニジアというと、歴史的にも地理的にも最もヨーロッパに近いアフリカとして広く知られている。かつて古代ローマ帝国は、チュニジアの地中海沿岸の豊かな土地をさして「ローマの穀倉」と呼んだ。現在でも、ヨーロッパ人に人気の高いリゾート地がチュニジア全土の地中海沿岸に点在している。
 しかし、『新たなる希望』のチュニジアでの撮影は、こういった地中海沿岸のよく知られたリゾート地とは無縁の南東部のキャラバン中継地、マトマタとタタウィンの近郊でそのほとんどが行われた。マトマタも、タタウィンもサハラ砂漠のほとりにある小規模な都市である。この辺境がロケ地に選考された理由は、先に触れたとおり、北アフリカ先住民族であるベルベル族の住居等がこの地に多く点在しているからにほかならない。

 ベルベル族の住居はその形態自体独創的であるが、さらにユニークな特徴として、それらが単一な様式ではなく、立地する地形によって様々なバリエーションを持っていることがあげられる。決して大規模ではない単一民族の住居が複数のスタイルを持っている理由は、彼らの持つ歴史を辿ることによって理解することができる。

 ベルベル族は、元来北アフリカ一帯に住んでいた部族である。しかし7〜8世紀頃、イスラム圏の拡大を目的とし、圧倒的な軍勢をもって北アフリカへ侵攻してきたアラブ人によって、現在のチュニジア一帯にいたベルベル族は、彼らの街を捨て環境の厳しい南方の険しい山岳地帯や砂漠地帯への移住を余儀なくされた。そこに拠点となる都市を形成し、さらにその近郊に村落を形成したのである。メドニンやマトマタ、そしてタタウィンなどは、これら村落の拠点として栄えた都市である。

 ベルベル族の伝統的な住居には、大きく分けて3通りのスタイルがある。1つはマトマタ地方にみられる竪穴の中庭を中心として地中に居住空間が展開する穴居住宅。次に、メドニンやシェニニ地方に多い地上に建てられたゴルファ(Ghorfa)と呼ばれるもの。最後に、山岳地帯に孤立して建てられた砦のような住居である。中でも、最も独創的なものがマトマタ近郊の穴居住宅だ
[★1]

チュニジア全国地図
★1 ルークの家(ラーズ家)の撮影に使用されたマトマタの穴居住宅。
下は『新たなる希望』撮影時の写真です。撮影している角度が90度ほどちまいますが、よく見ると横穴の配置など同じなのがわかります。

中庭から各個室へはスキップフロア的なアプローチがなされている場合が多いです。入口間際に階段のある様式は、後述するクサールにも共通しています。

■ルークの故郷
マトマタ近郊の穴居住宅は、竪穴状に掘られた円形、もしくは正方形の中庭を中心として、その周りに、居室として使われる部屋が横穴状に掘られ、部分的にはつながっている、という平面計画をしている。横穴状の居室部分は、2層もしくは3層になっており、それらは階段で中庭とつながっている。
 劇中、ルークが育ったラーズ家は、現在ホテル利用されている状態の良い穴居住宅を使って撮影されたものである。
 穴居住宅は、当初は敵から身を隠すことを目的とした簡便な砦のようなものだったが、その居住性の高さから、次第に住居として発展し、ベルベル人の生活の場となったものだ。大きいものは、数世帯が共同で暮らすものもあった。
 この地下住居の最大の魅力は、地上よりも涼しいことである。また、地上に突出する部分が皆無なので、大嵐にも耐えうることも長所の1つであった。
 このような穴居住宅は世界的にも非常に稀少ではあるが、チュニジアにしかないものではない。
 穴居住宅群の中で最も大規模なものは、中国の河南省、山西省などにわたる地域に作られた穴居住居群で、ここには1万人もの人々が地表をくり貫いた地下に住んでいる。ただしこちらは、立地する環境が粘土質の黄土で、多孔率が45%を超える非常に柔軟な地質なので、掘削がしやすいという理由から穴居住宅が発展した。マトマタのそれが窮地に立たされたベルベル族の苦肉の策だったということとは、発想の起源は全く異なる。いずれにせよ、ベルベル族の穴居住宅が世界的にみても独創的なことは確かである。

★2 中国河南省の穴居住宅
ここに1万人が住んでいるそうです。

KSAR
■モス・エスパのモチーフ
 2つ目のベルベル族の特徴的な建物は、メドニンなどの集落に見られるゴルファと呼ばれる建物だ。
 これらは、穴居住宅とは違い、地上に建てられている。その構造は、岩石を積み上げて、壁の駆体を作り、岩と岩の隙間を粘土質の土で固めて作った壁の上に、カマボコアーチ状の天井をのせたものとなっている。天井部分の岩石は、ローマンアーチ構造で支持されている。古代ローマ帝国に占領されていた時代、ローマ人が残した建築技術がベルベル人の隠し砦にも活かされているのである。
 このアーチ屋根構造を持つことにより、ゴルファは、無柱無梁の壁構造として成立している。『特別篇』で差し替えられてしまったが、『新たなる希望』で描かれたオビ=ワンの家のシーン
[★3]で使われたカマボコ屋根の建物が典型的なゴルファである。
 ゴルファは住居としても使用されたが、多くは穀倉倉庫や生活道具の倉庫として日常の生活に利用されていた。
 南部の商業の中心として栄えたメドニンは、チュニジア全域をはじめ、リビア、アルジェリア、ナイジェリアまでをも商圏に含んだ交易の中心地であった。メドニン中心部には27個の広場を囲うようにして約5000戸ものゴルファが作られた。
 『ファントム・メナス』で描かれたアナキン少年の故郷「モス・エスパ」のモチーフは、ゴルファによって形成されたメドニンの原風景そのものといって良いだろう。「モス・エスパ」には、ゴルファを下敷きにしてその形態にディテールを加えた建物が無数に登場する。これらは、実在のゴルファを使用したロケではなく、新たに作られたセットであるが、そのセットは実在のゴルファかと疑うほどに良く似た様式のものであった。
 メドニンのゴルファは20年ほど前の政策によって5000戸ほどあったもののほとんどが取り壊されてしまい、現在は小規模の集落が残るのみとなっているので、「モス・エスパ」で描かれたゴルファ群の発想の源を実際に見ることは残念ながら不可能である。

★3 上はオリジナル版で使用されたベンの家。下は「特別篇」で差し替えられたカットです。後述の山岳クサールを踏襲した建築デザインになっています。
■クサールの風景
 ゴルファは、単体で建てられることは少なく、いくつかの房が連なったスタイルが主流である。それらは個人所有で建てられるものだが、これをより大きい集合体として共同所有したものが
クサール(ksar)である。
 クサールは、タタウィン周辺に多数現存しており、それらは作られた時代によって、様々な形態をしている。クサールは、遊牧民のように広域を移動して生活していたベルベル族が、季節ごとに必要な食料を貯蔵する穀物倉庫として作ったものだが、居住の用途を果たすこともしばしばあった。
 ホテルとして利用されている「クサール・ハダッダ」(Ksar Hadada)は、『新たなる希望』のロケにも使用された。「クサール・ハダッダ」
[★4]は、現在は穀物倉庫であった各部屋を客室としてホテル転用している。『エピソード氈xで描かれたアナキン・スカイウォーカーの部屋は、このようなクサールの居室をモデルにしているものである。

タタウィン近郊のクサールで最も大規模なものは、「クサール・ウェド・ソルタン」(Ksar Ouled Soltane)
[★5]や「クサール・ウレド・レバブ」(Ksar Ouled Dabbab)で、これらは3層、4層にも積層された穀倉が横に無数に連なり、巨大な要塞の機能をも持つものである。これらは保存状態も非常によく、3月下旬にタタウィン周辺のクサールで行われるクサール祭りのメイン会場ともなる。これらクサールは40年ほどまえまで実際にベルベル族によって使用されていたものである。
 これらクサールの共通の特徴は、縦に積まれた穀倉へ上がるために急勾配の階段が外壁に外付けされている点が挙げられる。また、最上階がカマボコ屋根であることも共通のディテールである。各室のエントランス上部には、木製の棒が壁に打ち込まれている。この棒に縄をかけ、荷物を搬出入したのである。
 こういったディテールは、セットとして作られた『ファントム・メナス』の「モス・エスパ」の町並みや奴隷街においても確認出来る。つまり、より独創的な環境を作り出すことが可能であったにもかかわらず、「モス・エスパ」はベルベル族の建築文化を踏襲したスタイルで製作されたのである。これは、セットを見た者が、本物のクサールと誤解してしまうほどの出来映えであった[★]。

★4 クサール・ハダッタの客室
★5 上「クサール・ウェド・ソルタン」
セットではありません。実在するクサールです。
下は『ファントム・メナス』撮影時に組まれたセットをバックにしたスナップ写真。ルーカスもマッカラムも笑顔です。熱くて死にそうななはずなのに。
★6 98年に旅行者が撮影した『ファントム・メナス』のセット。場所はトルーズ近郊です。よく見ると一番左のアーチ窓からつっかえ棒がみえます。これがなかった本物との区別はつきませんね。
■賢者の家
 大きく3つに分類できるベルベル族の住居スタイルのうち、最も険しい環境に立地するものが山岳部に建てられたものである
[★7]

 山岳型クサールは、外的から身を隠す砦として作られたものだが、これらはベルベル族の苦難を如実に伝えるものである。太陽に焼かれた岩肌の露出する山岳部の頂きに立地する白いクサールは優美ですらある
 先に触れたように、『新たなる希望』で描かれたオビ=ワンの家の外観は、『特別篇』ではCGによって描かれたカットに差し替えられた。オリジナルでは大写しされた建物の入り口付近しか確認出来なかったが、新しいオビ=ワンの家では、その全景を確認することが出来る。その様相はシェニニ(Chenini)やドゥィレッド(Douiret)近郊に位置する山岳クサールをモチーフにした形態であった。
 この岩山の頂上に位置する建物は、俗世界と一線を画した隠遁者ベン・ケノービの家として、うってつけの環境に立地した建築といえよう。
 
[★7]にある山岳クサールは、中央にドームを頂いており、『新たなる希望〈特別篇〉』の「モス・アイズリー」の町並みが、これら現存するクサールのディテールを踏襲したものとしてデザインされたことを証明している。

 このように、『新たなる希望』、『新たなる希望〈特別篇〉』、『ファントム・メナス』そして最新作の『クローンの攻撃』を通して、映画で描かれた環境と実在するチュニジア南東部の環境を比較すると、スター・ウォーズは単なるロケ地としてチュニジアを選定したのではなく、物語で描こうとしている環境デザインアイデンティティ自体を求めてチュニジアを選定していたことが分かる。
★7 厳しい環境の中で禁欲的でありながら優美な姿の山岳クサール。★3のベンの家は、こういった山岳クサールをモチーフとしていると考えられます。
下は『新たなる希望・特別篇』で描かれたモスアイズレーの町並み。このクサール文化を発展させたような環境が描かれています。
■『ファントム・メナス』のロケーション
 『ファントム・メナス』のチュニジアロケは、チュニジアの二大湖に挟まれたトズール近郊で行われた。マトマタやタタウィンといったスター・ウォーズに由来の深いチュニジア南東部が使用されなかったのは、鉄道もなく陸路の便も非常に悪く、今回の製作スケジュールに向かないと判断されたためと思われる。よって飛行場から近いタトゥイーンらしい気候のある風景を求めてトズールが今回のロケ地に選ばれたのだろう。
 
★6の写真は、1998年2月に旅行者によって撮られたものである。一見メドニンやマトマタ近郊のゴルファかと思いがちだが、この写真が撮影されたのはショット・エル・ガルサのほとりにある「らくだ岩」近辺の砂漠である。この地域にベルベル族のクサールやゴルファは当然ながら現存しない。つまり、このセットは既存の建物に手を加えたものではなく、すべて撮影のために制作されたセットなのである。注意深く観ると、張りぼての壁を支える木材が確認出来る。
 『ファントム・メナス』の撮影は、その殆どがセットを組んでの撮影であった。この点が『新たなる希望』のロケとの大きな違いである。
 1997年秋にチュニジアロケは終了している。写真は、ダメ出しカットの撮り直しを行うために現場に半年ほど放置されていた期間に撮影されたものである。
 ちなみに、このトズールに近いタルメザには「スター・ウォーズ渓谷」と呼ばれている渓谷がある。『新たなる希望』でR2-D2がジャワ族に拿捕された、あの渓谷である。
 その後、この渓谷は『レイダース〈失われた聖櫃〉』(1981年 スティーブン・スピルバーグ監督)の終盤で、ナチスとフランス人考古学者・ベロックに対してインディがバズーカ砲で駆け引きを挑むシーンに使われた。近年では『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年 アンソニー・ミンゲラ監督)のロケにも使われている、何かと映画に縁のある渓谷である。

『レイダース〈失われた聖櫃〉』のクライマックスシーン、ハリソン・フォード扮するジョーンズ博士が待ち伏せしてたこの渓谷がトズール渓谷です。
トズール渓谷近郊の『ファントム・メナス』メインロケ地に組まれたセット。

C0DA
 チュニジアのベルベル族の人口は、国土総人口の1%ほどである。この比率は、近隣のアルジェリアやモロッコと比較すると非常に少ない数値となっている。
 その理由はチュニジアの立地が、異文化の入り交じる要因を多く持ち得ていることと、度重なる占領と植民地下の歴史によって他の民族や異文化との接触の機会が古来より非常に高かったために、他の地域に比べて混血化が進んでいたことが指摘されている。
 紀元1世紀にはローマ帝国の植民地化を受け、6世紀には東ローマ(ビザンチン)帝国による征服、7世紀にはアラブ人に占領され、12世紀にはモロッコによる支配、16世紀にはスペイン帝国、オスマン帝国など、列強による度重なる制圧を受けたのちの19世紀末以降のフランス軍による占領……1956年にフランスから独立し、自治国となるまでのチュニジアの歴史は侵略・占領の繰り返しであった。
 しかし、チュニジアのベルベル族たちは、その逆境を乗り越え、新しい文化から得た知識を統合し、クサールや穴居住宅など独創的な環境を創り出してきたのである。
 異文化同士が出合った地域であるということは、規模こそ違うが『ファントム・メナス』のもうひとつの舞台「ナブー」の街並みのモチーフとなっているイスタンブールにも言えることだろう。「東と西が出会う街」と常に表現され続けてきたイスタンブールからは、かつてビザンチン様式が生まれた。
 「ナブー」と「タトゥイーン」、この2つの星の関係は、イスタンブールとチュニジアとの関係性を下敷きにして考案されたのではないか、と思える程だ。事実、ナブーとタトゥイーンは、非常に隣接した惑星として設定されている(047ページ「スター・ウォーズ銀河マップ」参照)。
 王宮シードが、アヤ・ソフィアなどのビザンチン様式の大寺院を踏襲した形態であることと、アナキンの家がクサールのような形態であることは、現実世界のメタファーを形而的に模し、相互の関係性をプロットした結果なのである。

 タトゥイーンで描かれた環境は、様々な文化が織り交ざって形成された独創的な文化を下敷きにしていた。それはナブーにおいても同様である。これらは、冒頭で触れたコルサント同様に現実世界のトレースによって物語内に配置されたものたちである。

 タトゥイーンをはじめとして、ダゴバの地下洞窟、コルサント、ベスピンの空中都市、ナブーとグンガ・シティー・・・これらの都市環境は、実在する様式をデザイン的に引用しているだけでなく、その形態から漂う文化、習慣のにおいを作品に引き込むことで物語の行間を埋めることに成功している。環境デザイン自体が物語の背景を語る力をもっているのである。



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